サラリーマン時代、私はしょっちゅう上司とぶつかっていました。
私は改革を進めようとしていろいろな提案をするのですが、上司はそれをことごとく却下します。
当時の私は、保守的な風土に立ち向かう改革者のように自分を思っていました。
しかし、会社を辞めてから、それが誤りであったことに気づいたのです。
私は、「上司がアホだ」「会社が悪い」と他人の批判ばかりしていましたが、その一方で、自分がどれだけ改善・改革の努力をしていたのかと振り返ると、大したこともしていなかったのです。私は、自分自身が「依存人格」であることに気づかされました。これではいけないと自覚し、他人を批判するのではなく、自分自身で道を切り拓いていく「自立人格」に転換する決意をしたことが、今につながる大きな転機となりました。

このことに気づかせてくれたのは、茨城県の私塾「天命舎」を主宰する黒田悦司氏でした。黒田氏は、天命舎において、全国の経営者や経営幹部、その子弟らに“人間学”を教えている方です。

黒田氏が私に教えてくれたもう一つの大事なことは、「理念」でした。
理念とは、「究極の目的」のこと。個人で言えば、「何のための人生でありたいか」という問いに対する答え、企業ならば、「何のための企業でありたいか」という問いに対する答えのことです。 私は、自分には理念がない。人生の究極目的が分からない。だから生き方がブレるのだ。ということに気づかされました。そして、その理念を探究し、制定したのです。

そこで私は、「人がいきいきと生きるためには、しっかりとした理念を打ち立て、自立した人格となることが必須だ」という信念を持つに至り、こうした転換への支援を行うための研修などを、事業として始めたのです。

ところが誠に残念なことに、人は急には変われません。つまり、理念を制定し、「自立人格になるぞ!」と頭でわかったつもりになっていても、そうそう急に人格が変わるわけがないのです。人が変わるためには、何かの実践(具体的行動)が必要だ、と思って始めたのが、“そうじ”でした。
きっかけはひょんなことでした。ある方から、「小早君、そうじをすると人間が変わるよ」と言われたのです。どういうことなのか、当時の私にはよく分かりませんでしたが、何となく腑に落ちて、「やってみよう」という気になりました。

翌日から、朝起きると、トイレそうじを始めました。当時は道具もやり方も何もわからなかったので、まったくの我流です。尿石がこびりついた便器を、貧弱な道具で3カ月ほどもかけてピカピカにしたことは今となっては良い思い出です。

また、近所のゴミ拾いも始めました。街を歩いて見ると、空き缶やペットボトル、弁当屑、タバコの吸い殻など、たくさんのゴミが落ちています。時には、カラスがゴミ置き場のゴミを喰い散らかし、悲惨な状況になっていることもあります。

そんなゴミを、異臭を我慢しながら拾うことを通じて、私は、以前の自分とは違うメンタリティーで物事に対峙している自分に気づいたのです。

サラリーマン時代の私ならば、散らかっているゴミを見て、「ひどいことをする奴がいるもんだ。やったのは誰だ!」と腹を立て、自分はなにもせずに通り過ぎていたでしょう。しかし今は、誰がやったのかはさておき、「何とかするのは自分だ」という気持ちでゴミを拾っているのです。

なるほど、そうじとは、依存人格から自立人格へ転換するための訓練なのだ、ということが分かってきたのです。

以来、そうじを取り入れた自己改革の研修プログラムを開発し、提供してきました。

一方で私は、企業経営というものについて、考え続けていました。私たちの社会は、経済基盤の上に成り立っています。現状では、私がかつて在籍していたような大企業が社会経済を中心的に動かしています。しかし、大企業で働く人たちが必ずしも幸せというわけではなく、また、大企業の生み出す製品やサービスが、必ずしも長い目で見た時に、人々を幸せにするものでもないと、私は考えます。これは、環境問題や心の病の問題などを見れば、納得していただけるでしょう。

これからの時代には、「小さくても役に立つ」企業、製品、サービスが必要なのだと思うのです。

こうしたことから私は、「そうじを通じて、自立した人材が集う、ユニークな企業」を創り出すお手伝いがしたい、と思うに至りました。そこで、これまでの経験を統合し、「整理・整頓・清掃を通じて経営改革と人材育成を支援する」専門のコンサルティング会社である“そうじの力”を設立したのです。

日本中に、いや、世界中に、「自立した人が集う、小さくても役に立つ、ユニークな企業」が溢れることを夢見て、今日も活動をしています。

小早 祥一郎

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